もう一人のむくたうふとぅち

この間投稿した記事の続きを書きます。あの、「むくたうふとぅち」と同一人物が、浦添の内間に存在した、という話ですが、その後、私はその茶後軒丸(ちゃぬちぬちまる)の墓がある浦添市内間に行ってきました。その墓は、内間公民館が監理しており、そこに、たまたま内間自治会長さんがいらっしゃたので、私の絵本をみせて、その経緯を話してみました。すると、知念会長さんは、目を丸くして驚き「このねずみの話は、ずっと、ちゃぬちぬまるのエピソードと思っていましたよ」といっていました。約500年前の出来事なので、活字資料は残っておらず、信憑性があるかどうかわかりませんが、きっと、同じ人物ではないかと思えてしかたがありません。私の推測では、南城市玉城前川で生まれた「むくたうふとぅち」は、大人になると、首里城に呼ばれ、ひとまず、浦添市の内間に住むことになり、きた当初は、王府内で「むくたうふとぅち」と呼ばれていたのでしょう。それと同時に、内間集落では「ちゃぬちぬまる」と名乗っていたのではないかと思われます。その状況の中で、ちゃぬちぬまるは、内間集落から首里城まで通い、王府の仕事をしていたのではないかと思えてしかたがありません。そんな中、あの「陰謀事件(ねずみの話)」は起きたのです。なぜならば、ねずみの話は、内間集落の伝説として住民たちにも玉城の前川と同じように受け継がれてきたからです。その証拠として「内間字誌」(写真参照)にも「ねずみの話」が記載されていました。また、内間集落に住んでいる間にも独自の神通力を使ってその頃流行っていた「疫病」から村人たちを救ったというエピソードも残っていました。その内容はというと、「獅子舞を作り、それに祈りを捧げ疫病を退治(?)した」というものでした。ほんと不思議な話ですね。ですから、内間集落の人たちにとって、ちゃぬちぬまるは神様の存在でもあり、今でも神棚(人間なのに)にまつられています。実際、その神棚にも手を合わせてきました。何故か「ほっ」とした気分になりましたよ。この出来事は、私に何を伝えようとしているのかはわかりませんが、私の頭の中に何かメッセージが「パッ」と降りてきたときには、何も考えず自然に行動をとろうと思っています。その時はまた違う形の絵本を出版するかもしれません。(笑)写真は、内間字誌、ちゃぬちぬちまるの墓と拝所です。興味がある方は訪ねてみて下さい。

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